ビジネス、試験勉強、子供の教育にもグングン成果が上がる。みるみる冴える脳!ひらめく頭!とっておきの「脳力アップ術」を公開!
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
イマイチの人は超一流を目指し挫折するが、頭のいい人は二流のマルチを目指す。もちろん天才は日々黙々と努力を重ね、超一流になる。

イマイチの人は過去の分類やレッテルを頼りに物事を判断するが、頭のいい人は、それらを疑った上で大胆な判断や行動をする。

イマイチの人は人のマネを嫌い、ガムシャラにオリジナルを追い求めるが、頭のいい人は最初は成功者の真似をすることに抵抗を覚えない。

イマイチの人は自分のアイデアは貧困だと落ち込むが、頭のいい人は「自分にはアイデアがある」といつも自分に言い聞かせている。

イマイチの人は「プラス思考」と「楽観論」を混同しているが、頭のいい人は厳しい現実を認識し、それに耐える強さを持った上で、尚プラス思考である。

イマイチの人は少しの成功に「自分は頭がいい」と思うが、頭のいい人は「自分は頭がいい」などとは考えず、常に次の仕事や研究に前向きである。

イマイチの人はせっかくいい発想をしても頭の中で消化してしまうが、頭のいい人はその場でメモをとり、偉大な発想に結実させる。

イマイチの人は何でも言葉で表現しようとするが、頭のいい人は図を多用する。記憶する際も忘れたくないときは絵にする。

イマイチの人は当たり前のことを当たり前のこととして受け止めるが、頭のいい人は常に「何でだろう?」「あれは何だ?」という子どものような好奇心で物事を見る。

イマイチの人は感情が大きく揺れなくなるのを年齢のせいにするが、頭のいい人は「感情の老化」を非常事態として受け止め、回復に尽力する。

イマイチの人は年齢とともに記憶力が低下するが、頭のいい人は忘れないように大切なことは人に語り聞かせて覚える努力をする。

イマイチの人は自分への批判を嫌い、聞かぬように避けるが、頭のいい人は積極的に耳を傾け、利用する。

イマイチの人は「好き嫌い」を単なる感情の問題として済ませてしまうが、頭のいい人は好き嫌いがあるのを認めた上で「なぜ好きか?なぜ嫌いか?」を分析する。

イマイチの人は手書きの文章を嫌うが、頭のいい人は仕事に支障が出ない範囲でむしろ積極的に文章を手書きする。


スポンサーサイト

テーマ:勉強 - ジャンル:学問・文化・芸術

きわめて要領のいい頭の鍛え方を紹介してきたあとで、最後にアナログかつアナクロ的な習慣術を紹介しよう。そのひと言でソッポを向く人もいるかもしれないので、まず、そういう人を引きつける話から入らせていただく。

マクガイアという脳科学者の研究によれば、ロンドン市内のタクシードライバーは、それ以外のロンドン市民よりも海馬(脳にあって記憶を司る器官)の体積が多いという。その理由は、ロンドンの道路事情がきわめて複雑なことにある。

つまり、ロンドンのタクシードライバーは、ロンドン市内の道を攻略するうえで常に頭を酷使している。そのため記憶を司る海馬への刺激が多く、その結果、海馬が大きくなったというわけだ。

いくら道路事情が複雑でも、カーナビがあれば、頭を使うこともないはずだが、ロンドンのタクシーには、カーナビなどついていない。おかげで、ロンドンのタクシードライバーたちの脳は、運転をするだけでメキメキと発達していくのだ。カーナビを使わずにクルマを運転する。たったそれだけのことで脳のサビ防止になるのだから、ありがたいものではないか。

アナログな習慣術のつぎは、アナクロな習慣術である。最近は、大半の文筆家が、パソコンで文章を書いている。現在、原稿を本の活字に組み直す作業は、ほとんどがデジタルのデータ処理で行なわれるので、そうでなければ困るのだが、パソコンのみを使っての執筆は、脳機能の低下をもたらす大きな要因になってもいる。いわずと知れた、漢字を使えなくなるということである。

某ライター氏は、最近、某クラブで中国人のホステスと漢字で筆談しようとして、それを思い知らされてガク然となった。紙ナプキンに「閉店後、暇?」と書くつもりが、どうしても「暇」が書けなかったというのだ。中国人ホステスには「アナタ、それでも、ライターさん?」とゲラゲラ笑われ、酒で赤らんだ顔が、真っ青になる思いだったという。

もっぱらパソコンで、漢字を忘れることはかなり前から痛感していた。さらに、パソコンで文章を書いていると、思考がどうも大雑把になるような気もしていた。そこで、数年前から、日記だけは手書きで書くようになった。日記といっても、その日の出来事と所感めいたものを手短に書くだけだが、それだけのことで漢字を忘れるペースが遅くなったような気はしている。

みなさんも、週に一度は手書きで文章を書く習慣をつけてはいかがだろう。漢字を忘れないためだけでなく、シャープな論理力を身につけるために。

テーマ:勉強 - ジャンル:学問・文化・芸術

「批判」は、いうまでもなく主観と感情の産物である。ということは、それを受け入れる自分も、主観的であり感情的であっていい。轡田氏は「好き、嫌いがあるのは自然なことで、あったほうがいいくらいだ」ともいう。

そして、「いちばんいけないのは、好き嫌いがあるのに、それを自覚していなかったり、冷静、客観的なふりをしたりすることだ」とつけ加える。その轡田氏は、カルチャーセンターの文章講座でも、生徒にたいして「私にも、好きな文章と嫌いな文章があるので、冷静、客観的な添削ができているとはかぎりません」と公言している。そうすることで、自分の生き方を再確認するのだ。

たしかに、嫌いなものがない人は、感動もないだろう。「好き」という気持ちは、「嫌い」の反対感情である。何かを強烈に嫌う感情があってこそ、何かを強烈に愛する感情が育つといえる。だから、「嫌い」と思う気持ちを、よくないものだとして自分から隠す必要などまったくない。

むしろ、自分が何を嫌いなのかをはっきりと認識することが、自分が何を好きなのかを認識することにつながるというわけだ。何かをはっきりと認識するためには、好き、嫌いの理由を書きだしてみるといい。そうすると、自分が求めている商品のコンセプト(統一的な視点)が見えてくる。

たとえば自分は、なぜA社のビールが好きで、なぜB社のビールが嫌いなのか、あるいは、なぜC社の製品が好きで、D社の製品が嫌いなのか、を考えてみる。自分は消費者のひとりであり、自分と同じ好みをもつ消費者の代表なのだ・・・。

そう思って好き嫌いの理由を考えてみることは、すなわち、ある層のターゲットへの研究を深めることにもなる。好き嫌いの問題は、けっして好き嫌いだけの問題として終わらせないことである。

テーマ:勉強 - ジャンル:学問・文化・芸術

頭をサビさせないためには、「他人とどうかかわるか」も大切である。たとえば、コラムニストの轡田隆史(つくねだたかし)氏は、朝日新聞で「素粒子」というコラムを書いていた当時、毎日のように批判の矢を浴びたという。彼のもとに送られてくる投書には、ハガキの真ん中に「バカヤロー」と書いただけのものもあればゾッとするような過激な批判もあった。

最初のうちは、それらにいちいち腹を立てていた轡田氏だったが年数を経るにつれて「なるほど」という気持ちをもつようになった。実際、投書に書かれた批判のうち二割は大いに参考になる意見だった。彼はこうした批判の優れたところを積極的に探して、むしろ自分の考え方を高めるなど利用するようにもなったという。

批判を受ける受動的立場から批判を「利用」する能動的立場ヘ・・・。轡田氏は長年のコラムニスト生活でその習慣術を身につけたのだ。彼は「批判は、一種の敬意の表明」として江戸時代の儒学者・荻生徂徠(おぎゆうそらい)と伊藤仁斎(いとうじんさい)の例をひきだす。

徂徠は時折ほかの学者の説を痛烈に批判したが、なかでもヤリ玉にあげて徹底的に痛めつけたのが伊藤仁斎だった。しかし轡田氏は徂徠の批判は仁斎の説への強い関心と敬意の表れに他ならないといっている。

また評論の神様といわれた小林秀雄は彼のもとに集まる若手の文学者たちに痛烈な批判を加えたことで知られる。なかには小林に批判されて泣きだす者もいたといわれるほどだが、そのなかから作家の中村光夫氏や隆慶一郎氏、音楽評論家の吉田秀和氏などの逸材が育っていったことはあまりにも有名である。批判をときに利用し飛躍へのバネにする。そういう柔軟さがあれば頭というものは決してサビないはずである。


テーマ:勉強 - ジャンル:学問・文化・芸術

感情の老化につづいて起こるのが、記憶力の老化だ。これも、意外に早くやってくる。人は、子どものころに知ったことをいつまでも憶えているが、大人になってから知ったことはすぐに忘れてしまう。それは、記憶力というものが、10代の終わりを境に急激に衰えることの証拠にほかならない。

したがって、30代、40代になったら、もはや記憶力の低下にショックを覚えている場合ではない。記憶力はすでに低下したものと受け入れたうえで、それをおぎなう習慣術を身につけなければならないのだ。

そのためのひとつの方法に、もし、これは憶えておきたい、とか、この論証は使える、とか思うことがあったら、それをだれかに語って聞かせるというものがある。人に語って伝えるという行為には、第一に「復習」の効果があり、第二には「構成」の効果がある。

人に何かを伝えるためには、ポイントを押さえて筋道立てて話さなければならない。人に伝わりやすいということは、自分も憶えやすいということだ。したがって、人に伝えることは、自分がインプットしておくのに便利な構成に組み替えられる効果がある。

アメリカの医大では、「学習とは、観察すること、やってみること、そしてだれかに教えることから成り立っている」と学生たちに教えているほどである。

討論番組でおなじみの舛添要一氏は、東大助手だったとき、フランス政府留学生試験に合格して、フランスに渡ることになった。そこで、それまでの語学力では何かと困るぞ、と思った舛添氏は、アテネフランセ(フランス語学校)に自分を講師として雇うよう売り込んだ。そして、アテネフランセの生徒にフランス語を教えることによって、自分のフランス語力を急速にアップさせたという。

人に伝えたり教えたりすることは、ひとつの体験である。そのような体験を通して記憶することを「エピソード記憶」というが30歳、いや20歳を超えたら、記憶には、そうしたフォローが必要なのだ。

テーマ:勉強 - ジャンル:学問・文化・芸術

Powered By FC2ブログ. copyright © 2017 眠れる「脳力」を全開にする最強の頭脳革命 all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。