ビジネス、試験勉強、子供の教育にもグングン成果が上がる。みるみる冴える脳!ひらめく頭!とっておきの「脳力アップ術」を公開!
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頭をサビさせる最大の要因。それは、新鮮な好奇心を抱きつづけることができずに、心が老いてしまうことかもしれない。年をとるにつれて体力、記憶力が低下するのはだれもが知っていることだが、「感情の力」が低下することはあまり知られていない。だが、「感情の老化」というのは、確実にある。

それは、人によっては、身体と脳の能力低下に先んじて20代後半からやってくる。しかも、「感情の老化」は、身体と脳の老化を促進する元凶にもなる。その意味で、「感情の老化」は、もっとも深刻な老化ということもできる。トーマス・マンの「魔の山」には、情熱が衰えたことを悔やんで自殺してしまう男が登場するが、その男が「感情の老化」にたいして抱いた深刻さは、けっして大げさなものではないのだ。

たとえば、出世レースに遅れ、本線の仕事をはずされてしまったような場合、20代半ばにして、「もう、何をやってもダメなんだ」と思ってしまうビジネスマンがいる。それが、「感情の老化」の始まりである。

それが始まると、爆笑コメディーを見ても笑わなくなり、ひいきの野球チームが奇跡的な逆転勝ちを収めても興奮を覚えなくなる。脳科学的にいえば、それは、βエンドルフィンの分泌が止まり、海馬における刺激がなくなって、ニューロン(神経細胞)がもろくなっていることを意味する。それによって脳の力が衰えれば、おのずと体力も低下するという悪循環になるわけだ。

それでは、「感情の老化」を防止するには、どんな習慣を心がけたらいいのだろうか?一説には「飲む、打つ、買う」が、若さの秘訣だという。自分は、いま、ちょっとイケナイことをしているという良心の痛みが、老け込んだ感情を若返らせる刺激になるというわけだ。

まぁ「不良老人」を目指すのも大いにけっこうだとは思うが、とくに若いビジネスマンの場合は、酒とギャンブルと女に走ったりすれば、なおさらデカダンな気分になって老化してしまいかねない。

そこでひとつの提案。「あぁ、ちょっと気持ちが老け込んできたな」と感じたときは、若いころに好きだった映画を見たり小説を読んだりすることにしている。昔好きだった映画や小説は、いつになっても否定したくない。

そんな気持ちが手伝って、昔の自分になったつもりで、昔に味わったと同じ興奮や感動を覚えることができてしまう。一種のダマシだが、その興奮や感動は、けっしてニセモノではないと思っている。

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大人は、見たモノを図に描かないと忘れてしまうが、子どもは、見ただけで記憶することができる。子どもは、見たモノから強い印象を受ける感性が豊富だからだ。いいかえれば、子どもは、物事を不思議に思い、疑問に思う好奇心が旺盛だということである。

松下電器の創業者・松下幸之助は、社員だちと外を歩くたびに、目につく建物や変わった服を見ては、「あれは何や?」「これは何や?」と質問を浴びせて社員たちを困らせたという。松下氏は、大人になっても、「子どもの目でモノを見る」力を失わなかったわけで、そんな「老人力」ならぬ「子ども力」が、彼のたくましいアイデアの源になっていたことは想像に難くない。

なぜだろう、何だろうという好奇心。それは、企画や商品を生む精霊となる。たとえば日本で初めてのパンストの開発は、「男性はモモヒキをはくのに、どうして女性ははかないのだろう」という、ひとりのビジネスマンの素朴な疑問から始まったという。

女性は、ストッキングかずり落ちるたびに、物陰でスカートをめくって引っぱり上げている。男のようにモモヒキをはいてしまえば、そんな面倒はないのに・・・。また、当時、物陰でのストッキング調整は痴漢に襲われる機会にもなっだので、女性たちは、二重の意味でストッキングがずり落ちることを心底イヤがっていた。

はたして、日本で初めて売られたパンストは飛ぶように売れて、一年のうちにストッキングを駆逐してしまった。当時、パンストを買った女性たちは、アンケートの調査にこう答えている。

たしかにモモヒキをはくみたいな抵抗感はあっだけれど、ずり落ちないという実用性には捨てがたいものがあったわね。開発者の読みが、ピタリとあたったのだ。これは、子どもじみた素朴な疑問がビッグビジネスを生んだ好例である。

頭のいいビジネスマンは、大人の目を子どもの目に切り替えてモノを見る習慣を身につけている。それを見習って、これから見るモノ、すでに見てしまったモノを、あらためて子どもの目で観察してみることだ。きっと、意外な発見が得られるに違いない。

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発想や言葉をメモするのと同様に、気になるデザインやフォルム(型)を見つけたときは、視覚に焼き付けるだけでなく、図に描いたほうがいい。人は、耳で聞いた言葉よりも目で見た形のほうが鮮烈に記憶されると思い込んでいる。ところが、それを絵で描いてみようとすると、なかなか正確には描けないのだ。

昔、ダウンタウンがホストをつとめる深夜番組に、記憶だけを頼りにオバQやウルトラマンの絵を描かせるコーナーがあった。ゲームの参加者となった漫才師たちは、「なんだ、カンタンじゃないの」とばかり、自信満々で描き始める。彼らの頭には、おなじみのオバQの姿が浮かんでいる。

ところが、いざそれを描こうとすると、その姿がぼやけていってしまうのだ。「毛が三本」というのは、歌詞にあるからだれでも描ける。しかし、唇、足がどうなっていたのかか思い出せない。頭のなかに浮かんでいるはずなのに、どうしても、それをひっぱりだすことができないのだ。

脳科学には、こういう実験例がある。やや複雑な図を被験者に見せて、一時間後にその図を描かせる。見て憶えたつもりになっていた被験者は、なかなか正確に再現することができない。

そこで、今度は、見せるだけではなく、いったん図を描かせたうえで、一時間後にもう一度描かせる。すると、図の再現の正確性は格段にアップする。16歳未満の若い被験者は、見て憶える場合と描いて憶える場合にさほどの違いはないが、30歳を超えた被験者では、描いて憶えると飛躍的に成績が向上するという。

その理由は、子どもにくらべて、大人は、モノを見るときに感じる刺激や驚きがすくないためとされている。刺激と驚きが、見たモノを脳に貼りつける「接着剤」になっているのだ。ということは、30を超えたビジネスマン諸氏は、なおさら図に描いて憶える必要があるというわけだ。

ちなみに、とうの昔に30を超えているが、いまでも正確にオバQの絵を描くことができる。なぜなら、「オバケのQ太郎」をリアルタイムで見ていた世代は、当時からオバQの大ファンであり、しょっちゅうその絵を描いていたからだ。それもまた、「図に描いて憶えれば忘れない」ことの証明といえるだろう。

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アイデアは、いつどこでひらめくかわからない。たとえば、通勤電車のなかで、これはと思う商品のネーミングが浮かんだとする。その場合は、車内から会社のデスクまで、頭のなかでその名前を唱えつづけていればいい。しかし、仕事先とのミーティングの前にひらめいたような場合は、その名前を頭のなかで唱えながらミーティングをすることはできない。

したがって、アイデアを思いついたら、すぐに手帳にメモをとる習慣をつけておくのは、知的な作業をしている人にとっては、半ば常識になっている。では、短いネーミングではなく、ちょっと長めのコンセプトだったらどうするか?

もちろん、これもメモをとるしかないが、じっくりと書いている時間があるとはかぎらない。そんなときは、単語だけでも列挙しておくことだ。その際、漢字は画数が多くなるから、ひらがなで表す。くるま→こがた→たくさんのれる→よんく→かわいい→からふる、というぐあいである。

人にもよるだろうが、私の感覚だと、カタカナよりもひらがなのほうがいい。いつだったか原稿を書いているときに、ふと「遊民」というキーワードを思いついて、「ユーミン」とカタカナでメモしたことがある。その後、メモのことをすっかり忘れてしまったのだが、数日後に手帳をめくっていたら、その言葉が目に飛び込んできた。が、何のことだか、さっぱりわからない。

「おれは、ユーミンの歌は嫌いじやないけど、いったい、ユーミンがどうしたんだろう・・・」。けっきょく、ユーミンが「遊民」のことだと思い出したのは、その原稿を入稿し終わったあとだった。つまり、カタカナは、目に飛び込んだ瞬間にべつの言葉に化けやすいのである。また、こうしたメモは、簡単には捨ててしまわないほうがいい。

たとえば、あるノーベル賞学者は、散歩中にひらめいたことを歩きながらメモするという習慣があった。しかし、家に帰ってその紙切れを見ると、歩きながら書いた字なので、何が書いてあるかわからないことが多い。それでも、彼はその紙切れを箱に入れてとっておいた。

それから何年かして、いつものように散歩中にメモをとったところ、このときは文字がはっきりと読めた。メモをしまった箱のなかをあさってみると、よくは読めないが似たような文字が書かれたメモがあった。そして、このとき、彼は昔のメモを解読したと同時に、研究の大きなヒントをつかむことになった。

自分は、昔から同じようなことを考えていたのだから、この発想は、自分がっくりあげようとしている体系のカギになるものに違いない!そう気がついた彼は、それから研究に没頭、ノーベル賞の受賞理由になる大発見をしたという。このように、たった一枚のメモから、人生を決定づける収穫が得られることもある。恐れるべしメモ、である。

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自分にはアイデアがあると信じるのは、いい。絶対にイケると信じるのも、いい。だが、「自分は頭がいい」と思い込むのは、けっしていいことではない。その違いが何であるかについて、昭和初期の物理学者・寺田寅彦は、こんな言葉を残している。

「科学者は、たしかに頭がよくなくてはならない。が、そのいっぽう、科学者は頭が悪くなくてはならない、というのも真実である。頭のいい人とは、いわば足の速い旅人のようなものだ。頭の力を過信するあまり、物事を簡単に見抜こうとしてしまうのだ。たとえば、富士山が何であるかは、山頂に達するプロセスを一歩一歩踏みしめてみないとわからない。だが、頭のいい人は、すそ野から山頂を眺めただけで、富士山の全体をとらえたと過信する」

さらに寺田寅彦は、自分の頭を過信する科学者は、自分の学説と自然界の現実が食い違うと、「これは、自然のほうが間違っている」というゴーマンな考え方をしかねないともいっている。

つまり、「自分は頭がいい」と思い込んでいるビジネスマンは、自分の企画が通らなければ、「会社のトップは、みんなバカだ」と考え、自分が開発した商品が売れなければ、「世の中の消費者は、みな無知蒙昧(むちもうまい)だ」と考えることになるわけだ。そんなゴーマンをかましているかぎり、彼の立てた企画は永遠に通らないし、彼の開発した商品は永遠に売れないはずである。

精神科医の和田秀樹氏も、「自分のことを頭がいいと思った時点で発達が止まる」といっている。自分の賢さを過信して、いっさいの努力をやめ、人の話を聞かなくなる。そういう人間を、和田氏は何人も見てきた。たとえば、助教授時代には外国の文献を根気よくあさり、常に考察の力を磨いていた人間が、教授に昇進したのを境にパタリと勉強しなくなり、根拠のない思いつきを自説とするようになってしまう。

和田氏にいわせれば、そうした人間は、自分じたいが権威であり、自分の語ることが真実だと思い込み、もはや何も学ぶ必要がないのだとカン違いしているということになる。「自分にはアイデアがある」と思うことと「自分は頭がいい」と思うことには、天と地ほどの違いがある。「カン違い人間」にならないためには、「自分は頭がいい」と思わない心の習慣が必要だろう。

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